こはくのひとり処

小説を書く限界腐女子オタクが日々思ったことについてひとりごとを溢していく処。

運命とはなんぞや

 

今、実は朝です。

こんばんは、こはくです。

 

次の創作(オリジナル)のプロット構成を

考えながらも

夏の推しのライブやまた別の推しの円盤発表やら

新ストーリーの更新やグッズ販売やら

イベント事に現を抜かしている最近。

お財布がガバガバです。

 

今、目の前にすみだ水族館

とある飼育スタッフさんが個人的に溺愛する

いきものをただ見てもらいたいという

イベントの広告が貼ってあるのですが、

そのキャッチコピーが

 

「運命の人が人じゃなかっただけ。」

 

というなんともぐっとくる変愛ぶりを感じて

とても興味深いです。

イベント前半は「クロナマコ」

後半は「二匹のナベカ」

とあるのですが

 

.....ナベカってなんでしょう。

この「二匹」は番なのか親友なのか宿敵同士なのか。

 

人ではないものに運命めいたもの

巷でよく言う「ビビッときた」というものを

感じる人って一体この国にどのくらいいるんだろう。

ビビッとくるなんてもう古いのでしょうか。

 

これと共に生涯添い遂げるって言えるものに

出逢えた人というのは幸せなのだろうし、

その対象が人である必要はないのよね。

仕事が恋人なんて謳い文句もあるくらいだし。

(それは皮肉なのかもしれないけど)

 

私は14歳の時にたった一人

「あ、私この人の為なら死ねるな」

って心から本気で思った人がいました。

20数年生きてきてそれっきりです。

今後もあるかわからない

それが運命の人だったのかもしれません。

恋愛感情とはまた違うんですよね。

もう出逢ってしまったから仕方ないのだっていう

世界の摂理のような

盲信のような

崇拝のような

でも酷く人間くさいその一挙手一投足に

私も生を感じていたのかもしれないです。

人生を考えさせられながらも

今この時のきらめきを痛感させられた

そんな人でした。

 

14歳の出逢いなんてたかが思春期の暴走

なんてよく言われましたし今でも言われますが

あの時感じた「私生きてる感」って

多分そんな乱暴で簡素な言葉では

言い表せないような気がしています。

 

次は人間くさい話が書きたいなあ。

二次も書きます。近日中には必ず。

 

 

今宵のBGMは

冨田ラボfeat.椎名林檎さんで

「やさしい哲学」でした。

ごきげんよう