こはくのひとり処

小説を書く限界腐女子オタクが日々思ったことについてひとりごとを溢していく処。

34万円で手に入れるオタクの美

 

ずっともやもやしていることをうまく言えずにストレスになってきている。しかしだからと言って大した話でもなく、かと言って誰でも「わかる~」と言ってくれる話ではない気がする。ストレスマシマシ。

こんばんは、こはくです。

 

 

女というものは、一体いつまで美醜について考えて行かなければならないのだろう。「〇〇って写真加工しすぎ。加工しないとTwitterに上げられないのかよ」「〇〇のファンってブス多い」「同担マジ無理すぎる。〇〇は私と結婚するから~ごめんなさい~」と平気で口にする、グッズ待機列で私の目の前に並んでいるうら若き中学生の女の子は、でもきっと三年も経てば推し変してるかもしれないし美白パックしたりメイクを覚えたりダイエットだとかに励みながら、三年後も今と同じように「あの子はブス、あいつは加工詐欺、あの人はメイク濃すぎ」だと言って人を選別しているんだろうなあと。

私はちらっと見えた彼女の顔を見て、その薄っぺらい一重の瞼とノーメイクの顔にがっかりしたのでした。がっかりした自分にもがっかりするのです。

 

いつの時代も世の乙女たちを悩ませてきた一重二重奥二重問題。私は高校生までずっと奥二重だったのですが、大学生のある日、霰粒腫になり瞼を切ってから左目だけ二重の幅が広いです。まあそうなると気になってしまう左右差。いやしかし私のポリシーとして日中に瞬きをすればバレるようなアイプチ等はしたくない。そこまでする必要は?でもあなた右目が小さいのねって、ああ八方塞がり。

「私のパパが、したいなら二重整形してもいいって言ってくれたんだあ、34万」と笑って言うこの私の前に並ぶ名も知れぬ自分よりブスだと思えば簡単にお前ブスと言ってしまえる度胸のある中学生の女の子の、「パパの魂胆」を慮る。ああ嫌だ。胸糞悪い。吐き気がする。女性が美醜に囚われるのと同じ熱量で男性も考察して欲しい。他人の美に言及するなら己の美についても責任をもって持論をひけらかしてほしい。お前の「美」ってなんだ。何をもって美しいというのか。くせっけのない髪?濃すぎないメイク?ぱっちり平行二重?それとも人のことを悪口を言わない心とでもいうのか。34万なら出せるパパよ。

 

美とは、美とは……なんて考えて考えてしまうのはどうしてだろうか。なんでいつまで女は美で悩んでいなければならないのだろうか。そもそも美の何に悩んでいるのだろうか。

美しいって一体なんだろうかと思いながら、私は推しのブロマイドを見つめて「これぞ美!」などと叫んでいる。はあ、私に疲れる。

 

目下、私の問題は私の美醜ではなく進まない小説です。いやしかし最近最近肌荒れ酷いんだよなあ、誰々のように綺麗な肌になりたいなあ、などと考えてしまう日々。40代50代になっても自分の美醜に囚われる生き方は嫌だな。というか、その手の話題はもう十分お腹いっぱいなのです。

 

人って昔から、美しくかわいいものが好きよね。私は私自身の美しさの追求も勿論諦められず捨てられずにいるのだけれど、でもやっぱり美しい人を美しいなあと思っているくらいの熱量でいたいし、求められる量もそれくらいでいいです。私に34万円払って美しくなる価値はないしその気力もないのです。いつだって人の形を保っているだけで褒められたいお年頃。

 

 

今宵のBGMは椎名林檎さんで「鶏と蛇と豚」でした。

ごきげんよう